夫が入院していた約1か月の間、私は毎日病院へ通いました。
コロナ禍でずっと面会が叶わなかった日々を経て、ようやく1日15分だけ許された貴重な時間。
その短い面会時間のために、私は生活のリズムを調整し、毎日14時に病院へ向かうのが日課となっていました。
受付でのやりとりが生んだ心のつながり
病院では、まず受付で名前を伝え、面会許可証を首から下げて病棟に入る決まりになっていました。
毎日のように通ううちに、受付の方も私の顔を覚えてくださり、「こんにちは」と笑顔で声をかけてくださるようになりました。
隣の部屋には背広姿の職員の方やガードマンの方もいて、混雑時には丁寧に誘導してくださいます。
帰り際に「お気をつけて」とかけてもらう一言が、涙が出そうなほど嬉しく、胸にじんと沁みました。
夫の病状がなかなか良くならず、心が沈んでいた私にとって、その温かい言葉は何よりの支えでした。
駐車券紛失と、そこから広がった思いやりの連鎖
ある日、面会を終えて帰ろうとした時のこと。
いつものように駐車券を取り出そうとしたのですが、カバンの中に見当たりません。
焦ってすべての荷物を出して探しましたが、どうしても見つからず、仕方なく受付へ行って事情を話しました。
すると、受付の方は「あ、いいですよ」と、あっさりと新しい駐車券を出してくださったのです。
拍子抜けするほど親切な対応に、思わず「ありがとうございます」と言いながらぼんやり歩き始めたその時――
「ゆうポポさーん!」と遠くから私の名前を呼ぶ声がしました。
振り返ると、先ほどのボブヘアの受付の方。私の名前を呼んでくれたことが、なぜか不思議で嬉しくて、また胸が熱くなりました。
「南駐車場でいいですよね?もし違うと券が使えないので…」
そんな細やかな気遣いに加え、隣の部屋から背広姿の男性が出てきて「僕がご案内します」と駐車場まで一緒に歩いてくださったのです。
涙もろくなった自分と、ススキのお地蔵さん
その頃の私は、日々の不安や疲れで心が張り詰めていたのでしょう。
橋の上にぽつんと生えていたススキのかたまりを、何となく「お地蔵さん」だと思い込み、車の中から手を合わせて夫の回復を祈っていました。
ところがある日、そのススキが刈り取られて姿を消していたのです。
きっと市の職員の方が草刈りをしたのでしょう。
でも私は、心のどこかで頼っていたその“お地蔵さん”がいなくなったことに、寂しさを覚えました。
お礼の果物と、その返答に感じたプロ意識と優しさ
その翌日、感謝の気持ちを伝えたくて果物を持って病院を訪れました。
しかし受付の方は笑顔で「私たちはこれが仕事ですから。物はいただけません。でもお気持ちだけ、ありがたくいただきます」と丁寧に断ってくださいました。
それからは駐車券も面会カードと一緒に丁寧に挟んでくださるようになり、受付を通るたびに「大丈夫?疲れてない?」と優しい言葉をかけていただくようになりました。
日々を支えた言葉の力
夫が一時退院したとき、受付の方が一緒に喜んでくれました。
彼らは毎日何百人、何千人もの患者や家族と接しているはずなのに、私のことを覚えてくれ、心を寄せてくれた――
その事実が、どれほど私を元気づけてくれたことか。
おわりに
病院という場は、誰もが不安を抱えて訪れる場所です。
そんな中で、受付や警備、職員の方々のさりげない思いやりや、ちょっとした一言が、どれほど人を救っているか――
私は身をもってそれを感じました。
この文章を通して、あの時支えてくださった皆さまへの感謝の気持ちが、少しでも伝われば嬉しいです。