退院した夫は、まるで別人のように痩せていました。
入院前は78キロあった体重が、たった65キロに。
見た目も声も弱々しく、何より、食べ物がまったく喉を通らない夫の姿に、私は焦りと不安でいっぱいになりました。
まずは栄養を取ってもらうために、バランス栄養剤を1日3回、無理やりでも飲んでもらうことに。
いろんな味を試す中で、ヨーグルト味はダメ、いちご味なら大丈夫。
その日から、いちご味の栄養剤を求めて、近くの薬局をいくつも回る毎日が始まりました。
もし田舎だったら・・・
と思うと、近所に薬局が何軒もあることさえ、有難く感じました。
不思議なことに、毎日買いに行っていたせいか、日に日に栄養剤の在庫が増えていったように思います。
小さな一歩、ラーメンの一口
退院から3ヶ月が経った頃、夫が「ラーメンなら食べられるかも」と言いました。
あの言葉は、私にとって小さな奇跡でした。
病院の帰り道、思い切って2人でラーメン屋さんに立ち寄りました。
夫は、麺を半分だけ食べることができました。
私は、夫が口に運ぶ姿をただ見ているだけで胸がいっぱいで、自分が食べたのか食べなかったのかも分からないくらい感激していました。
あの一口は、夫にとっても私にとっても、大きな一歩だったと思います。
鍋焼きうどんとの日々
ラーメンのあと、今度は「鍋焼きうどんなら食べられる」と言い出しました。
それから毎日、スーパーに鍋焼きうどんを買いに行く日々が始まりました。
万が一売り切れていたらと思うと心配で、いつの間にか1日分として3個ずつ買うのが習慣に。
食卓には栄養剤と鍋焼きうどんが並ぶようになり、少しずつ食べられる喜びを取り戻していきました。
でもこの「鍋焼きうどん生活」も、1ヶ月も経たずに突然終わりました。
ある日、「もう食べたくない」と言われてからは、見るのもイヤだと・・・。
さすがに毎日食べすぎたね(笑)。
忘れられない買い物の日
夫の食欲が戻ってきた頃、一緒に買い物にも出かけられるようになりました。
でも長く歩くとすぐに足が疲れるので、私はお店の中を走り回って買い物を済ませる日々。
今思えば、ちょっと笑えるくらいドタバタでした。
半年が経ち、久しぶりに少し遠くの大型ショッピングモールへ行くことに。
目的は、パジャマを買うことと、私の刺繍糸を手に入れることでした。
案の定、店内を回ったところで夫は「座りたい」と。
決めていたパジャマを2人分買って、刺繍糸は別の建物で買うことに。
夫は「車で待ってるから」と言ったけれど、実際は私を心配して入口まで来てくれていたのです。
会計を済ませたとき、入口の壁に持たれて私を探している夫の姿が見えました。
その姿を見た瞬間、私は思わず駆け寄って、夫の手を握っていました。
「大丈夫!来てくれたん?」と聞くと、
「ゆうぽぽが迷子になってないか心配で来た」と。
その言葉がうれしくて、私はその場でポロポロと涙をこぼしました。
元気だった頃、手を握ると「なにするんや、エッチスケッチワンタッチやぞ」と茶化していた夫が、何も言わず手を握り返してくれた。
その時の光景は、今も私の心に深く刻まれています。
日々の苦しさと笑顔
夜の痛みやしびれも少しずつ楽になっていき、私が夫の足や腰をさする時間も短くなっていきました。
夜中に何度も起きて、眠れない日が続いたこともあったけれど、今思えば、苦しいと思う暇もないくらい毎日が過ぎていきました。
そんな日々の中で、夫の笑顔が増えていくのが、本当に嬉しかった。
「食べられる」「歩ける」「一緒に買い物に行ける」
そんな当たり前だったことが、今ではひとつひとつ宝物のように思えます。
刺繍に込めた願い
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私は今、1月から12月まで、1年をテーマにした刺繍を月ごとに作っています。
それを毎月、家に飾って、夫と一緒に楽しく暮らせる日常を彩りたいと思っています。
あのとき、買いに走った刺繍糸も、今では私の「祈り」のような存在。
この先も、月々の刺繍を夫と一緒に飾れるように、
今を大切に、笑顔で生きていこうと思います。
次回予告
次回は、夫が入院中に書き溜めていた「手作りレシピ」のお話を。
体調が辛い中、それでも毎日書き続けたレシピは400件以上。
夫の想いがぎっしり詰まったレシピ帳を、どうやって活かしていくか。
少しずつ、私たちの新しい生活が始まっています。