ゆうぽぽはれです!
定年後の生活をエッセイ形式で紹介します
初回(田舎→地方都市に移住した背景)はコチラ
保育士の先輩でもあり友人のことりちゃんが移住先の我が家に来る。
最高に嬉しい。
本記事の内容
保育士になった頃から定年した今でも人生の先輩・友人のことりちゃんとの思いでをお話します。
伝えたいこと
巡り会えて本当に良かったと思える人に、久しぶりに会ってみませんか!
ことりちゃんについて
ことりちゃんは、私の人生において巡り会えて本当に良かったと思える人。
ことりちゃんとの出会い
私が新人保育士の頃、初めてのクラスをことりちゃんと担当させてもらった時から関係が始まった。
先輩のことりちゃんが保育のノウハウ全て教えてくれた。
保育士としてはもちろんのこと、生きる事の道しるべを与えてくれた人です。
ことりちゃんは、バイタリティーがあり、努力家で心暖かい人。
もう表現できないくらいすごい人。
ことりちゃんとの思い出は書ききれない。
ことりちゃんと担当したクラスは、とても人数が多かったけど不思議と大変だった記憶が残っていない。
ことりちゃんに褒めてもらうのが嬉しかったし何をするのも2人で楽しく仕事ができた。
放課後部屋の掃除や床拭きをしながら良く喋った。
ことりちゃんがバス当番でいない日は、帰って来るまで必死に掃除や床拭きをした。
ことりちゃんが帰ると、「まあ!一人でえらかったやろ。」と言って頑張った事を褒めてくれる。
それが本当に嬉しかった。
この時、ことりちゃんのお腹に赤ちゃんがいた。
それでも、とても元気で私の何倍も働いていて・・・
何とかことりちゃんを楽にさせたいという想いで一生懸命頑張ったけど、到底足元にも及ばなかったな。
新人の時に巡り合える人でその人の仕事観が決定されると言っても過言でない。
私はことりちゃんに出会えて本当に良かった。
ことりちゃんを目指して
ことりちゃんと一緒にクラスを受け持ったのは1度だけ。
同じ園で仕事をしたのは2年間だけだが、それからもずーとことりちゃんと仲良くさせてもらった。
ことりちゃんの様に頑頑張り屋さんになりたい、ことりちゃんの様に素敵な大人になりたいと思った。
若い頃とがっていて生意気な私を少しづつまーるくなるように導いてくれた。
親にも姉にも言わない事もことりちゃんには言えた。
どんな時も私を支えてくれた。
心に一点の曇りも無い、綺麗な心で私を見てくれた。
随分心配もかけた。
お嫁に行きたいと騒いだ時はことりちゃんが一番心配をしてくれた。
ことりちゃんのお家は、我が家から車で30分以上かかったが私が心配になると飛んできてくれた。
どんな辛いことがあってもことりちゃんは、守ってくれた。
私が主任、園長になっても、ことりちゃんは全て教えてくれた。
ことりちゃんとの思い出
主任になると、一泊二日、三泊四日の初任者研修がある。
その研修の順番がずれて私はことりちゃんと2人で行くことができた。
本当にラッキー。
研修は大変だったが電車の中、弥次喜多道中のように笑いころげておしゃべりした。
途中電車待ちの時に駅前の百貨店に入った。雑貨を見る。
「はれちゃん、これは私たちでも作れるな」
「作れる!壁面にしよう。作品にもできる」
私たちの頭の中は、設計図が飛び回り、保育室と子供たちの顔でいっぱいになる。
いつも前向きに考えられた。
ことりちゃんがお家に遊びに来た時の話
ことりちゃんは、食べることが好きでよく一緒に食事もした。
食事で思い出すが、ことりちゃんが家に遊びに来た時・・・
私が子供を塾に送らなくてはいけなくなり、少し家で待っていてもらうことになった。
帰って来ると泣いていた・・・!?
「どうしたのことりちゃん」びっくりして聞くと泣きながら
「はれちゃんのお父さんとお母さんが晩ご飯のカレーを食べていてな。このカレーは○○には甘すぎるな、そうやな甘すぎる、もっと辛くしてあげた方が良いなと二人が喋っていてさ。○○さんを思いやる姿にええ家族やなあと思って涙出てきたんさ」と話してくれた。
○○とは私の夫。確かに父と母と夫は仲良かったけどね。
この話でもことりちゃんの優しさと心の奇麗さがわかるエピソードである。
・・・食べることが好きの話と趣が違うけど(笑)
ことりちゃんが入院した時の話
ことりちゃんは、とても元気で夕べ熱が出ても朝になると下がるとよく笑って言ってた。
そんなことりちゃんだが、一度だけ入院したことがあった。
声帯にポリープができて手術したのだ。
それを聞いて直ぐに病院へ飛んで行った。
病室の扉を開けると驚いたような顔をしたが直ぐ喜んでくれた。
喋れないので筆談になった・・・。
「仕事の後に、よう来てくれたな。ありがとう。仕事のことも考え、もう少し後にしてと先生に、言ってあったはずなのに直ぐに切られた」
とノートに書いてくれた。
私は、次に書こうとノートとペンを取って書き始めようとした。
ことりちゃんが手を振って
「あんたはしゃべれる」とジェスチャーした。
「・・・あ、私喋れる」
2人で大笑い。
声を出したり笑いも良くないのに2人腹を抱えて笑った。
無事で本当に良かった!
がんない
ことりちゃんとの思いでは、楽しいことばかりで、
辛いこと苦しいことも二人の合言葉で笑っていつも解決した。
その会い言葉は「がんない」
がんないとは、もう頑張り過ぎないようにしようと言う意味。
何度もそういって電話を切るが、ことりちゃんはやっぱり頑張るから、弟子の私も頑張る(笑)
保育だけでなく子育て等色んなことを教わった。
やりくりも上手なのでことりちゃんを見習った。
ことりちゃんは節約家だけど、震災の寄付や人に対してはお金を惜しまないとても心が綺麗で慈悲深い人。
私は、いつもことりちゃんを追っかけていて少しでも近づきたいと思っている。
お互い定年して・・・
ことりちゃんは、私たちより一年ぐらい早くS市から一時間くらい離れた場所に引越しした。
そんなこともあり、私は引っ越してきたら又ことりちゃんに会えると嬉く思っていた。
ことりちゃんは、退職したら花柄摘みや畑仕事もしたいと言っていた。
引っ越し先で畑を借り、野菜作りをし、孫の世話、家の事をしっかりしている。本当に凄くて頭が下がる。
私が我が家に花をいっぱい植えたのは、花摘をしていることりちゃんと一緒にいるようで笑顔が浮かんでくるから。
お料理する時、「育てた野菜は、愛おしくて少しでも無駄にしないで使う」ということをことりちゃんから聞き、その言葉を思い出し使う。
私は、ことりちゃんに教えてもらったこと思い浮かべながら生活してる。
どちらかが声を聴きたいと思う時は電話がなる。
ことりちゃんもスマホに変えたのでラインもしてる。
ラインに畑に植える物を連作しないようにパズルのような書き物をラインで送ってきた。
いつまでたってもすごーいパワーで敵わないな。
ピーポーン!来た!ことりちゃん!
次回は・・・
私の大好物な鰻についてのお話です😊