ゆうぽぽはれです!
定年後の生活をエッセイ形式で紹介します😊
初回(田舎→地方都市に移住した背景)はコチラ
今回は、定年後の暮らしを一番喜んでくれた人の話です。
定年後の暮らしを一番喜んでくれた人
定年後に引っ越したこと、庭や花壇をDIYしたことを一番喜んでくれたのは、私の友達Fさんだった。
口癖は、「まあ!すごいな!」と笑う。
人に対して全く嫌な感情を抱かせない素晴らしい人。
何をしても褒めてくれる。
Fさんは私たちの引っ越し先のS市に住んでいる
私の友達であり夫の従姉。
女兄弟のいない夫にとって、姉の様な人。
Fさんにとって夫は、弟のような存在。
定年後の引っ越し先を探した思い出
この土地やこの家を購入したのは、Fさんご夫婦のお陰だった。
家探しの話をすると俄然張り切ってくれたのは、Fさんのご主人の方だった。
私たち夫婦はどちらかと言うといい加減な性格だったけど、
引っ越し先の住まいについて、とても親身になって一緒に探してくれた。
当初は息子と住むつもりだったり、田舎からの引越しという事情を加味しながら
駅から最寄り何分か?
高速道路に近いかどうか?
生活が便利かどうか。
それはそれは、熱心に考えてくれた。
毎週週末、休日になると車で高速道路を2時間くらい走らせてS市まで行って、Fさんご夫婦と一緒に引越し先を探していた。
ある日、夕方近くになり、今日はここまでで終わろうとしていたところでFさんのご主人が
「もう一軒」と言い、見に来たのが引越し先となった家。
何軒も見たが、この家に入った時に何の違和感も無く、すっと家の中に入ることが出来た。
Fさんが思わず発した言葉は、
「まあ!可愛い家、この家孫に買ってあげたいくらい!」
たいそう感動した様子だった。
4人共何だか居間で仮の椅子に座りこんでくつろいでしまった。
と言うわけであっという間に、この家を購入することになった。
後々考えれば、もう少し値段交渉もすれば良かったと反省もした(笑)
後でリフォームの金額も念頭に入れれば良かったと思う。。
田舎の家は、木道具に良い物を使っているが売っても二束三文。田舎と都会の違いは、そこにもある。
Fさんは、
「あんたらは、こだわりがあるから良いね。これから、家の内装のことや買い物に一緒に行くからね!」
と本当に意欲的な協力体制に心強さを感じる。
「ねえ!私たちを置いていかないでね」と言った言葉が笑える。
この家の成長を見守ってくれる人がいる。
少しの変化でも「まあ!すごい」と喜んでくれる人がいる。
早く引っ越したいと思った。
当時はまだ、夫も私も現役で直ぐには引っ越しできない。
その間は息子が一人で暮らした。
休日はS市に行って、庭の改良を行った。
でき上った庭をFさんに見せて
「Fさん、プロバンス風の庭どう!」
「まあ!すごいな!素敵。あんたらすごい!」
「はれちゃん夫婦良く喋るなあ、私たちは、会話ないよ」ウフフとFさん。
Fさん夫婦は、物静かなゆったりした夫婦。
私たちは、いい加減でにこにこ夫婦。
この組合わせは何とも面白い関係だった。
何でも褒めてくれ、笑顔をいっぱいくれるFさん夫婦に引っ張られ励まされていた。
私たちが引っ越してから、随分周りも変化して建物がどんどん建っていく。
「Fさん、随分変わったよね」と私は、言う。
「・・・・・・・ 」
答えてくれるFさんは、居ない。 もう、いない。
突然の別れ
息子が住み始めてから、しばらく仕事が忙しく来れない日が続いた。
しばらくぶりにFさんに会うと
「はれちゃんダイエットに成功や」
「まあ!Fさんすごい!何で痩せたん」
「グラノーラとヨーグルト」
私は、さっそく同じものを買って家路に着いた。
年が明け2月、4人であった時あまりの痩せようにびっくりする。
Fさんは膵臓癌に侵されていた。。
病気が発覚してから、毎週のように見舞いに行った。
だけど・・・
発覚して4か月。あっという間に天国に召される。
あの笑顔がもう見られない。
あの言葉がもう聞けない。。
何か新しい物や変化があるとき、必ず私は、Fさんを思い語り掛ける。
「Fさん!どう!」
「まあ!ええなあ」
会話する。
その年の5月、闘病中だったFさんから夫の誕生日に靴をもらった。
「この靴でこれからの人生歩いて行って」と言ったFさんの言葉を胸に
Fさんいつも一緒やよ!
人生楽しむからね。
それから
息子は結婚して、息子夫婦で暮らしている。
三回忌が過ぎ、Fさんのご主人は再婚した。
「Fさん、みんな幸せになってるよ。」
「まあ!良かった」と言ってくれるよね。
ずっとずっと話聞いてね。
6月20日命日。
ありがとうFさん。
次回は45年ぶりに姉妹だけで会ったお話です。